ヒーリングにおける「解毒」の毒の正体というか、毒の成分についてです。
ヒーリングで「解毒」します。と言っても、毒が何を指しているのかわからなければ、ヒーリングのしようがありません。
毒を解くと書いて、「解毒」です。
気功だけでヒーリングが終わる訳はなく、会話でも解毒ができなければ、毒は抜けきれません。
「なんで、私に攻撃的なんだろう?」「なんで、私に嫌味しか言って来ないんだろう?」「なんで、味方になってくれないんだろう?」「なんで、ちゃんと話をきいてくれないんだろう?」「なんで、応援してくれないんだろう?」「なんで、私を愛してくれないんだろう?」「なんで、この人は人の悪口しかいわないんだろう?」と、受けた毒を、自分でもぐるぐる回し、さらに心と身体を蝕みます。
その毒がどこから来るのか?何なのかわからないから、苦しむのであって、毒の正体がわかれば、対処の使用があります。
毒親とは、
子どもを自分の支配下に置き、その人生に有害な影響を与える親を指す俗語。
米国の精神医学者スーザン・フォワードによる書籍『毒になる親』から派生した造語で、同書の邦訳版が1999年に出版されて以降、広く知られるようになった。
子どもへの暴力的・性的な虐待や育児放棄だけでなく、精神的な虐待や過度な干渉も毒親の特徴とされる。
毒親による歪んだ親子関係は子どもに深刻な心的外傷を与え、その影響で成人後も対人関係に問題を抱えたり、依存症に陥ったりして苦しむケースも少なくない。
と、コトバンクにあります。(読みやすいように改行を入れました。)
私の先生から、解毒について教えてもらった時に、毒の正体は「〇〇」と言ってました。
その「〇〇」が原因となって、毒を含んだ言葉となり、毒が機能し始めます。
その「〇〇」と、毒との、点と点が繋がった時に、いろんなスコトーマが外れ、一気にいろんな情報が頭の中を駆け巡りました。
その言葉がキーワードとなって、いろんな扉が開きだしたような感じです。
ブログの記事を連投しているのも、熱いものが冷めないうちに書き下ろしています。
その「〇〇」については、解毒系の気功技術の伝授と共に、個別セッションや講座で解説させて頂きます。
毒は、親からだけでは、ありません。
会社の人間関係や、学校の人間関係からもあります。
言葉や会話で、チクチク刺されたり、グサッと刺された、経験もある人も多いと思います。
最初の毒は、「親」からの場合が多いと思います。
親から受けた毒を、その他の人間関係の人にも、模倣して、毒を注入して行きます。
毒親になってしまった人は、「最初の毒親」ということではなく、やはり、戦争が原因で、毒を注入され、自分の子供に毒を注入するようになりました。
親自体が悪いわけではなく、戦争から引き起った社会的洗脳によって、システムとして、受け継いだいます。
毒の正体は、「愛」ではないかと推測する人もいると思います。
間違ってはいないのですが、「愛」では抽象的過ぎて、ヒーリングには使いづらいです。
毒が何なのか理解出来た後、毒を浴びせてくる相手に、言葉で「私を愛するのをやめてもらえますか?」とは言いづらいものです。
個別セッションや講座では、もう少し論理的に、解説します。
相手に、「その「〇〇」をやめて!」と言える状況や関係性であれば、毒を浴びさせれることが少なくなるかも知れません。
その「〇〇」がわかると、毒をまき散らす人の言動や行動が理解できます。
人は、『愛』故に戦争を起こし、『愛』故に呪い、『愛』故に毒を注入します。
正し、その愛は、歪んだ愛です。
毒がわかると、他人にも自分にも、毒を回していたことに気付けます。
あと、「メンヘラ」と呼ばれる人たちからの毒も見えて来ると思います。
解毒は、時間をかけて行うものだと思って下さい。
毒が抜けて行くと、憑き物が落ちたように表情も穏やかになり、自然に笑みがこぼれるようになって、人間関係も良好になってきます。
そして、自分を解放することが出来るようになります。
解毒も脱洗脳の一種ですが、脱洗脳はプライベートなものです。
綺麗な表現で例えるなら、他人に、ズボンのチャックが開いていることを教えたり、ジャケットのボタンをかけ間違えていることを指摘するようなものです。
他人から指摘されたら、恥ずかしいという感情が出てくる時もあると思います。
ホワイト社会では、外見など、他人に指摘することは言いにくくなります。
自分で気付くか、「なんか今日、道を歩いていたら、すれ違う人からじろじろ見られるんだけど、どこか変?」と、誰に聞いて教えてもらうしかありません。
質問したら、「上着の裾に洗濯バサミと一緒に洗濯物がついているよ!」と誰かが、教えてくれます。
それと、無意識では、毒に気付いているので、無意識的に他人から避けられます。
視覚化が得意な人は、杭や触手が刺さっているのが見えるようです。
これも洋服で例えると、めちゃくちゃ派手な格好をしている友人や、ダサ過ぎる恰好をしている友人と「一緒に歩きたくない」という感覚に近いと思います。
依頼も相談もなく、他人に何かを指摘するというのは、覚悟が必要です。
カップラーメンを毎日食べている人に、「カップラーメンは身体に悪いからちゃんとしたもの食べた方がいいよ」という余計な一言で、「あんたに言われる筋合いはない」と、激怒されるようなものです。
尾野真千子さん出演のCMです。
「答えを持ったら そこで終わり」「問いを持ったら そこが始まり」
とあります。
今回の「〇〇」の答えを知っても、終わりではありません。
このブログに何度か書いてますが、「良い質問が良いゴールになります」。
今回の「〇〇」の答えを知っても、一気に扉が開き、また「問い」が生まれ、ゴール設定の更新が勝手に始まり出します。
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