神様はいるのかいないのか?存在と実在の違いからも考えてみる。
宗教という物語から目を覚ますには、抽象度を上げて俯瞰してみましょう。
見える神様はニセモノ
抽象度の概念からいくと、下の階層から上の階層は見えません。
もし、神様が見えるという人がいたら、その人は神様と同等です。
こういうと、じゃあ、神様が見える人がすごい人と勘違いをしてしまう人も中にはいると思いますが、アイドルやロックスターと同じです。
夢(物語)を見させられているだけで、ご飯も食べれば、トイレも行くし、しっかりと睡眠もとっているはずです。
契約の概念では、「甲と乙」にしてわけますが、どちらがえらいということではありません。
対等な立場で契約をします。
神様と契約ができるなら、神様と対等ということです。
動物園のサル山でも、ボス猿はいます。
人間界でも、誰かをボス猿のように慕い、奴隷のようになりたがります。
日本の神様の考え方は、八百万の神(やおよろずのかみ)といって、たくさんの神様がいます。
「私は無宗教です」という人でも、初詣に行ったり、子供が生まれればお宮参りに行ったり、お墓参りに行ったりします。
神道(しんとう)が宗教ではないと思っている人が多く、しかも、お寺と神社の違いに気が付かない人も多いです。
神社で願い事が叶うカラクリを言ってしまえば、神社でトランス(深い変性意識)に入り、その状態でお願いするので、無意識が動き始めるだけです。
願い事が叶うと思って、行動しているので願いが叶います。
今日はいい日になると思うって1日過ごすといい日になるのと同じです。
パワースポットも、パワーがもらえると思って行くのでパワーがもらえます。
神社でお願い事をしなくても、トランスに入ってお願い事をすれば、願いが叶うのが脳の仕組みです。
トランスに入るのには、気功は有効的です。
気の玉を作れるだけでもトランスに入れます。
儀式がトリガーとなり、アンカーが作動します。
昔「トイレの神様」という曲が流行りましたが、トイレの掃除だけではなく、「家の掃除は全部した方が良い」ということだけは伝えておきます。
宗教の教義というのは、誰かが考えた物語です。
抽象度を上げてみて、現代で言えば、漫画やアニメと同じです。
時代が変わっただけです。
仏像は、現代で言うとのフィギュアです。
お台場のガンダムは、昔で言えば、「奈良の大仏」と同じです。
そう考えるとオタク文化も寛容になれます。
お葬式は地域によってですが、2日間だったりと、結構な時間をかけて行います。
これは、死者のためではなく、残された人間のために行っています。
木魚を一発叩いて「はい、終わりました。」では、納得がいく人が少ないと思います。
木魚はなぜ魚なのかというと、魚は昼も夜もずっと目を開いているため、一日中勉強しなさいということらしいです。
お坊さんがお経を唱えて、深い変性意識に入れば、ホメオシスタスの同調で近くにいる人も、深い変性意識に入ります。
深い変性意識に慣れていない人は、眠たくなります。
脳のカラクリがわかって抽象度が上がってくると、いろんなカラクリがわかってくるようになります。
神様が存在しても構いませんが、実在はしません。
人間に近い神様が実在したとしても、人間と大差がない神様ってどうなの?って思います。
信仰は自由なのですが、これから何かの信仰を始めようと思っている人は、脳の仕組みがわかれば、目が覚めると思います。
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